光トカゲ

caph7772005-02-27

ふふふ、ホントは「光と陰」なんだけど、変換したら「光トカゲ」になったので、気に入っちゃいました。
近くの土手の斜面の草むらで、トカゲを捕まえて遊んだ。当時はカナヘビと呼んでいた。しっぽを捕まえると、しっぽを斬って必死に逃げていった。トカゲのしっぽは、切れてもまた生えてくると聞いてはいたが、実際に手のひらで、しっぽだけがくねくねと動くのを目の当たりにしたときは、驚きと気持ち悪さで、すぐに、しっぽを地面に落としてしまった。主人のいなくなったトカゲのしっぽだけが、地面でくねくね動くのをじっと見つめていた。不思議さとともに、トカゲに対し、子供ながらに、罪の意識のような重たい感情が湧いたのを思い出す。
トカゲのしっぽは、そのうちに再生して元のようになるのだろうが、人の場合は、そう上手くはいかない。
最近は医療が進歩して、身体の本体はかなりの再生が可能になってきたようだ。こうした医療や技術の進歩には、驚きとともに恩恵を受けている。しかし、こうした進歩の陰で、人間の内面的な心の問題が大きくなって、鬱病や自殺といった話題にふれる機会が増えてきた。ワタシは医者でも専門家でもないので、詳しい原因はわからないが、社会の進化や変化のスピードに、人間の心がついて行けないように感じることがある。特に都会では、ワタシが子供の頃に体験したような、自然や動物や虫たちと過ごした開放的な時間や場所が、無くなってしまったようだ。綺麗に整備された公園や、見せかけの自然には、人の心を開放し癒す力は残っていないように感じる。トカゲと遊んだあの頃を懐かしむには、30年以上の年月が厚い壁のように邪魔をしている。
この30年の間には、ワタシ自身も地位とか財産という見せかけの成功を追って、効率や利益優先の経済社会の流れに押し流されて、自分を見失いがちになることが多かったようだ。
「失敗は成功のもと」「継続は力なり」とか言いうが、最後には成功しないと、失敗だけで終わってしう。結局、成功するまでやり続けることが必要だ。こう考えるとワタシの場合、非常に苦しい気がしてしまい、簡単には何も始められなくなってしまう。そこでワタシは、「やりたければ、やればいい」「やめたくなったら、やめればいい」「また何度でもやり直せばいい」「自分の気持ちしだい」などと、とてもいい加減な奴みたいに、聞こえてしまう言葉を並べて、自分で勝手に割り切っている。それでも本当は辛い事も多いが、自分で決めている分、気が楽になるのかもしれない・・・?。
光が当たれば陰が出来るように、成功の陰には失敗が、栄光の隣に挫折が、進化すれば退化することも必ずあるものだ。
人間には誰にでも、光と陰はたくさん存在する。
世間では、光の部分にスポットを照らしがちだが、影が在るからこそ光りが存在するのだ。
ワタシは光トカゲのしっぽの様に、また何度でも再生していきたい。
時間はかかるかも知れないけれど・・・