あれから10年

10年前の今日、娘が産まれた。
産気づいたかみさんを車に乗せて、近くの産婦人科へ向かったのは0時を回った頃だった。
すでにぐーすか眠っていたワタシだったが、かみさんに揺り起こされた。
「何だか陣痛が来たらしい」と言うかみさんの苦しそうな表情に、ついにその日が来たかと、準備していた荷物を持ち、急いで病院へ向かうことにしたが、眠っていた5才の息子を連れて行くか、どうしようかと一瞬迷ったけれど、急いで病院へ向かわなくてはいけないので、いつも朝まで熟睡している息子を、そのまま家に残して、病院へと急いだ。
  
深夜の田舎の産婦人科は、しんと静まりかえっていた。婦長さんが一人で当直をしている他は、ひとけが無いように感じた。あいにく院長先生は、丁度その日は学会へ行って留守だったが、直ぐに連絡を取ったので、急いでこちらへ向かっているとの事だった。
ワタシは、分娩室前の冷たい廊下のベンチに一人座り、寒さに身を縮めてしばらくじっと待っていたが、婦長さんが、産まれるまでにはもう少し時間がかかるから、病室で待っているようにと気を利かせて病室へ案内してくれた。出産に立ち会いをする事になっていたので、産まれる頃にまた呼びに来てくれる事になった。
ワタシは安心して、あたたかい病室で眠りについてしまった。
 
どれくらいの時間が経ったかわからなかったが、婦長さんが早足でバタバタと病室へやって来た。夢心地のワタシは直ぐに我に返り、分娩室へと向かった。
分娩台に横たわるかみさんと、まぶしい光に驚いたが、すでに産まれる直前のような状況だと言うことがわかった。
いつの間にか院長先生がそこに居て、なにやら忙しくバタバタと、とても緊迫している空気が伝わってきた。
夢の中から、いきなり現実に引き戻されたワタシは、苦しそうにうめくかみさん、テキパキと院長の指示に動く婦長さん、そして真剣な院長先生と言う状況に、しばらくは面を食らってしまい、血の気が引いたように呆然と立ち竦むしか出来なかった。
実は、息子の時も立ち会いをしていたので、これが始めてでは無かったが、夢の中からいきなり目の前に表れた現実とのギャップのせいで、違和感を感じているのかと思ったが、どうも、それだけでは無いようなの状況である事がだんだんと伝わってきた。
明らかに院長先生や婦長さんの様子や、かみさんのいきみ声など、息子の時とは違って緊迫しているのが伺えた。
今にも産まれそうなはずなのに、なかなか産まれてこないのだ。
ワタシが分娩室に入ってから、どれくらいの時間が過ぎたかハッキリとは覚えていないけれど、しばらくそんな状況が続いて、ついに吸引を始める事になった。吸引と同時にかみさんがいきむのだが、何度か息んでもなかなか産まれてこない。
さすがにワタシもかなりヤバイと感じ始めた頃に、ようやくくるりと回転するように赤ちゃんが出てきた。かみさんの隣でおろおろしながら、その様子をずっと祈るように見守っていたのだが、へその緒が肩に掛かっていてなかなか出てこれなかったらしい。それが回転したことによりうまい具合にはずれたようだった。
やっと、産まれて来たと思い少しホッとしたが、産まれてきた赤ちゃんが、少し青ざめて見えた。なかなか鳴き声を発しないのだ。院長先生がチューブで赤ちゃんの鼻や口の異物を吸引したりししている間の静寂がとても不安だった。実際はそんなに長い時間では無かったのかも知れないけれど、とても長く感じた。
やがて赤ちゃんは小さな鳴き声を上げた。今までの緊張と静寂が一気にほぐれ、再び時間が動き出したように感じ安堵した。時間は午前4時を過ぎていた。
何度も吸引されたおかげで、頭に立派なこぶが出来上がった、どう見てもエイリアンのようなお猿の様なしなびた赤ちゃんだったが、必死に頑張って産まれてきてくれたことを思うと、見てくれなんかはどうでもよかった。無事に産まれてくれた事に感謝した。
その場にいて、何も出来ないワタシは、ただ祈るしか出来なかった。とにかく無事に産まれてくれたことが有り難かった。
ビデオもカメラも用意していたのに、結局何も撮ることが出来ず、体重を量る台に寝かされている場面をカメラに納めるのがやっとだった。
 
あれから、10年が経ったなんて本当に早いものだ。
子供に対して、色々と期待したり要求したりする事も在るけれど・・・、
今こうして、元気でいてくれるだけで本当にありがたいと思う。