北風と太陽?

「北風と太陽」と言えば、イソップの有名な童話だ。北風と太陽が旅人のコートを脱がせる勝負をする話しだが、北風がいくら頑張って冷たい風を吹かせても、旅人はしっかりとコートを離さずに耐える。変わって太陽がじっと照りつけると、旅人はたまらずコートを脱ぐという結末だ。
単純な話しだが、北風と太陽と旅人と言う三者の立場や情景などを考えると奥が深い。例を挙げると、「太陽は絶対的存在・北風は障害・旅人は自分」とか、「太陽は母・北風を父・旅人が子供」などと解釈を変えたり、とらえ方も色々だ。
しかし、仮に季節が真夏で、旅人がTシャツ姿だとしたらどうだろう。北風と太陽が旅人に服を着せる勝負をしたとしたら、結果は北風が勝っていたに違いない。
この話は、別に勝負の勝ち負けの話しだけではないのでこんな想定をしても始まらないかもしれないが、立場や環境が変わると見方も色々変わると言うことが言いたかったのだ。
今、ライブドアとフジテレビのニュースが話題になっているが、この問題もそれぞれの立場に立って見方を変えると複雑だ。単に法律や規制の問題を越えて、感情論に発展してしまうのも仕方ないと思う。
物事をみるときに、ある方向から一方的にみてしまうことが多いが、親や子、上司や部下、堀江さんや日枝さんなど、それぞれの気持ちや立場を公平にみられるようになりたいものだが、自分が当事者になると、なかなかそうはいかないものだ。
「もし」とか「〜だったら」「〜れば」などの言葉を多用して仮定の話しをよくすることがある。
しかし、この言葉は、過去の事に使うのは考え物だ。過去はどう頑張っても変えようが無いので仕方ない。だが、未来の想定や色々な人の気持ちや立場を考える上では、大いに役立つのではないだろうか。
年を重ねるごとに、年々頑固になっているような気がするワタシだが、いつまでも少年の心を持ち続けたいものだ。あんまり深読みしすぎても困ったものだ・・・。