青春の1ページの1

  • 幼少の思い出

父が、東京の下町で自動車修理工場を始めたのは、ワタシが幼稚園の年長に進級するときのことでした。まだ幼かったワタシには、僅かな記憶しか残っていませんが、初めて転園した幼稚園に行った時の出来事が、今も鮮明に残っています。
以前、ワタシが住んでいた場所は、チバの田舎町で、まわりには雑木林や田んぼや畑が沢山ある小さな町でした。今では東京のベッドタウンとなって、その風景もだいぶ変わってしまいましたが、当時のワタシは、木登りをしたり、田んぼにはまったり、野山を転げ回る自然児というか、はな垂れ小僧のくそガキであったことは、紛れもない事実です。
そんなワタシが、急に東京の下町の幼稚園に転園することになり、母に手を引かれ最初に登園した日のことです。母はワタシを先生に託すと、すぐに家に帰って行きました。呆然とするワタシを先生は、優しく手を引き教室へ連れて行きました。とまどうワタシを立たせ、なぜか先生は最初に黒板に向かい、ワタシの似顔絵を書き始めました。ワタシの顔をじっと見て、「ヒロシくんは、富士山のお口と、坊ちゃん刈りに、一重まぶたに、まん丸ほっぺ・・・」とかいいながら、似顔絵を描いていきました。そして、最後にほっぺを赤いチョークで丸く塗りました。こうして完成した変な顔の似顔絵の横に立たされたワタシは、似顔絵とワタシを見て、ゲラゲラ笑っているお友達に紹介されたのでした。当時5才だったワタシにとって、初めての「とても恥ずかしい」という体験でした。若い女の先生にとっては、自然にとった行動の一つであったのでしょうが、ワタシには未だに忘れられない過去の思い出として、今となっては笑い話ですが、忘れられずに大切に暖められて来たのも事実です。