自然

今日、草刈機で駐車場に使っている、広さ200坪程の原っぱの草を刈りながら考えた。
年に4〜5回は、この原っぱの草刈をする。前回は4月の終わり頃に草刈をしたのだが、一月半で地面から50センチ以上も伸びているところもあるのだ。車が出入りする所の草は、さすがにタイヤに踏まれ背丈は短いが、びっしりと草が土の上を覆い尽くして10センチは伸びている。自然の再生能力というのか、雑草の生命力というのか、比較的堅い地面なのに、驚くほどの力を感じる。太陽と水と土の栄養と適度な温度があれば、自然はいくらでも再生するのではないかと思わせる程だ。
しかも、その草原の中には、小さなジャングルのように沢山の種類の植物や、多くの虫たちがうごめいているのだ。
その中へワタシは、エンジンの爆音を響かせ、ノコギリの鋭く回転する刃を容赦なく振り回し、片っ端から切り刻んで行くのだ。まさに、SFアクション映画に出てくる怪物になった気分だ。
虫たちから見れば、突然爆音を轟かせ襲ってきた怪物に、家を壊されパニック状態で逃げているに違いないだろう。中には、胴体を切断されてしまったトカゲや、足をもがれたバッタや、はじき飛ばされたダンゴムシなどなど、大変な状況になっているはずだ。
しかし、ワタシはそんなことをかまわずに、黙々と作業を続けていき、やがて全ての草を刈り終えるのだ。
こんな事を、20年以上繰り返しているけれど、一向に自然は、再生する力を衰えさせる気配を感じさせない。
それどころか、最近はワタシの体力の衰えの方が少し心配になるほどだ。
有名なダーウィンも、生き残る物は、決して強い物ではなく、頭の良いものでもなく、変化に対応できるものだけが生き残ってきたと言っていたそうだけど、その点では、人間よりも自然の方が遙かに生き残っていきそうな気がする。
果たして、人類は変化に対応して生き残ることができるのだろうか。
人間は、もう少し自然にかえる必要があるのではないだろうかと感じてしまった。
頭だけが大きくなって、心が変化に対応できないことが多く起こっているような気がする。いまさら、科学技術や文明社会を昔に戻す事は難しいだろうから、せめて気持ちだけでも自然にかえっておおらかにしたいものだ。